
尺取虫(しゃくとりむし)の仲間で、「くわのえだしゃく」の幼虫のことを、「土壜割」と呼ぶそうです。
農夫が枝と間違えて土壜をかけてしまい、落として割ることからこのような名となったらしいです。
この絵、「谷岡ヤスジに捧ぐ」とあります。

約千年前の中国で、フナが突然変異したのが「金魚」の祖であると伝えられています。
以後、改良に改良が加えられ、人間の鑑賞のためにのみ、人工的に作り上げられた、自然とは似て非なる魚が金魚だということです。
「金魚の美しさは、鑑賞し選別淘汰する人間のものすごい努力があって維持されています。そういう金魚の本意をつかんだ俳句を誰か書いて欲しいな」(岡林信康さんの発言より)

畑でお馴染み、葱坊主です。
俳句では春の季語です。
擬宝珠(ぎぼうしゅ)に似ているところから「葱の擬宝(ぎぼ)」とも言うそうです。
ユーモラスで、つい一句詠んでみたくなる言葉のひとつです。
葱坊主子を育てては嫁にやり 成瀬櫻桃子

ねこのちぎり
「にゃあ、君の名は?」
「............」
「にゃあ、君ィ。君の名は?」
「............」
「名前はまだないのか?」
「............」
「それを言っちゃあ、おしまいなんだな?」
「にゃあ」
ーおしまいー

子年(ねどし)が去り、丑年(うしどし)がやってきました。
詩人の中村稔氏は、虚子の有名な「去年今年貫く棒の如きもの」を「剛毅」としつつ、
時間は空間的なものではない。
時間を空間に置き換えて認識あるいは感受しているこの句は、
ぼくにとっては面白くない。
我々にとって時間は、「過ぎ去っていくもの」として認識する以外にありえない。
今この瞬間を喪失していくのです。
時間を失うことの連続が、われわれの生なのです。
として、森澄雄さんの
年過ぎてしばらく水尾のごときもの
を、優美で典雅な佳句としています。(中村稔著『私の詩歌逍遥』より)

雪が一面を白くする季節。クリスマスや大晦日をひかえ、皆いそいそと街を通り過ぎます。
陽がとっぷりと暮れた頃から別の物語が始まりそうな、そんな12月も間もなく終わり。
一年が静かに暮れてゆきます。

木々が紅葉するように、秋には水中を泳ぐ鮒たちのヒレが紅色に変わります。
自然の移ろう様に美を見い出した日本人独特の、美しい言葉です。
突然変異の鮒を選り分けて、観賞用に飼育したものが「金魚」です。
時雨舎が制作に関わった書籍に関するイベントのお知らせです。
当日は、私も早くから会場近くをウロついています。
お時間ある方、ぜひ、ご来場のうえ、お声をかけてくださいませ。
よろしくお願いします。 たくさんのご来場、ありがとうございました。
☆『道草のすすめ』(角川oneテーマ21)刊行記念・トークセッション
辰巳琢郎著・定価740円(税込)
☆ジュンク堂書店大阪本店(←こちらをクリックしてください)
3F 喫茶コーナー
☆2008年10月19日(日)13:00-14:30
☆入場料500円

俳句を愛好する多くの人の心には、「蚯蚓(みみず)鳴く」(秋)、「蓑虫鳴く」(秋)、「亀鳴く」(春)などの言葉【概念】が宿っています。
本当は鳴かないものの鳴き声を、あたかも聴こえるかのように言っておもしろがった、諧謔精神の伝統です。
しかし、「おけら鳴く」は特別ですね。これは本当に鳴きますから。

